いよいよ最終日。今日は榛名山、赤城山などどこかで聞いたことがある山を越えていく。今日のコースはいきなり長い下りから始まるので、昨日みたいに最初からギリギリにはならないと思っていたのであるが…。とにかく僕らは絶対完走するつもりで宿を出た。
今日のスタートは草津ユースホステル。僕らがスタートに着くころ、ちょうど5時スタートの人達が出発するころだった。三日目の6時スタートに集まっている人数はずいぶん少なかった。DNSも結構多いのだろう。
例の男女ベアの二人も同じ6時スタートだった。向こうも昨日は渋峠までは行けなかったらしい。
ブリーフィングではいつものようにルートの説明があり、いよいよスタートの時間になった。今日はウェーブスタートではなく一斉スタートだった。
草津を出てしばらく集団で坂を下る。10kmぐらい一気に下った後も、榛名山の登り口まで下りで、いいペースで走ることができた。
榛名山は最初はそれほどきつくはない登りだった。何よりまだ気温も高くなくて登りやすかった。僕は今のうちに頑張って登ってしまえと先を急いだ。
しかし、途中少し下ったかと思うときつい登り返しが待っていた。少し疲れてゆるゆると登っていると、M女史がたんたんとしたペダリングで追いついてきた。いつものことだが、ちょっと気を抜くと彼女はすぐ追いついてくる。こちらもひーこら言いながら、ほどなくして榛名山山頂に着いた。
山頂には湖がありその湖畔は少しの間だけ平地区間だった。景色が綺麗なので記念撮影しておいた。
湖畔を過ぎるとすぐに道は下り始めた。道は広くて下りやすいが、この下りの途中に最初のPCがあるので、勢い余って通り過ぎないように警戒しながら下る。PCにはあっという間に着いた。
最初のPCでは1時間以上は余裕ができた。この後少しは楽に進めるかと思ったが、そんなことはないと後ほど思い知るのであった。
PCを出るとやたらとアップダウンの多い農道地帯となった。空っ風街道という道らしいが、今日もいよいよ気温が上がり、そこは灼熱の農道となっていた。僕は暑さでへろへろになり、なかなかスピードが出なかった。しかし、そこに神が現れた!軽トラを洗うおじさんである。手にはなんと水がじゃぶじゃぶと出るホースを握っていた。
それを見つけたM女史は、
と僕を呼びよせた。僕らはおじさんにホースを借り、体中に水を浴びせた。ほんとに気持ちよくて、嬉しそうにしている僕らをみて、おじさんもニコニコしていた。
気をとりなおして、僕らは農道をグイグイと進んだ。そしていつのまにか道は第二の山、赤城山の登り口へとたどり着いたのであった。
赤城山の登り道。それはヒルクライムレースが開催されるような結構な斜度の登りだった。登り口に差し掛かった時点で時間は10時半。頂上が次のPCで、キューシートを見るとクローズは12時8分だった。
僕は頭の中でどれぐらいのペースで登らないといけないのか計算した。単純に計算すると約12kmの道を1時間半であった。平均時速8キロを切ると危ないということだった。
振り返るとM女史はいきなりのきつい坂で少し離れてしまっていた。とにかく僕が先に行けば彼女は意地でもついてくるはずなので、僕は細かいことは告げず必死で登り続けた。
平均斜度は7.5%と聞いていたが、実際には10%以上の坂が頻繁に出現し、その度にスピードは8km/hを切るのだった。とにかく全神経をペダルを回すことに集中した。坂がゆるくなったところは、さっきのスピードダウンを取り戻すべく足の動きを早めた。
調子は悪くなかった。ただこれをあと1時間以上続ける必要があった。ほんとにこれがキープできるかわからなかったが、とにかく自分を信じるしかなかった。
反対車線にはすでにヒルクライムを終え軽快に下ってくる自転車がいっぱいいた。ほんとにいっぱい下ってくる。下ってくる人がいる限り、頂上はまだまだということだった。
山の中腹あたり、反対側に休憩所があった。何人かの自転車乗りが休んでいた。ブルべの参加者がいたかどうかはわからなかったが、こんなところで休んだらアウトだった。そんなことを思いながら僕は上を向いて走った。
M女史の姿は見えなかった。ただなんとなく、いつものように足はつかずに登ってくるだろうという確信があった。
終盤にさしかかり、道はくねくねしたヘアピンカーブが続いた。ヘアピン地帯の下まで道が見えるようになり、そこに走り続けているM女史の姿を見ることができた。ここまでくればあとは大丈夫だと思った。
それからちょっと走ると、山頂のロッジらしき建物が見えた。あそこが山頂だ。そう思うと一気にスピードはあがった。僕はPCへと駆け込んだ。
残りの時間は15分ぐらいだった。最初のPCでは1時間以上は余裕があったのに、気がつけば今日もギリギリだった。
M女史はその後すぐに登ってきた。ちょうど12時を回るぐらいだった。この時、まさか時間がギリギリとは知らないM女史。スタッフからクローズ時間を聞いて絶叫していた。その声は少し離れた自販機に水を買いに行っていた僕の耳にまで届いた。
赤城山の下りは、地元民も避けるような細い林道らしい。確かにブルべの参加者以外、単に練習で赤城山に登ってきた人達はUターンしてもと来た道を下っていくのであった。
しかし、時間はギリギリ。そんなにゆっくり下るわけにはいかなかった。
M女史にとって細い林道は水を得た魚のようで、あっという間に下って見えなくなってしまった。ぼくはこういう場所は苦手で少しゆっくり下っていったのであるが、結局更に遅い車に捕まり、その後を下っていくしかなかった。
下りきるとしばらくの間はまた農道が続いた。その農道を抜け国道へと出るはずなのだが、道を間違えたのかなぜか地面はダートに変わった。
こんなところにダートがあるとは聞いていない。しかし、一つ前の分岐の距離は合っているように思えた。そうして僕らはそのまま進んだ。ダートはすぐに終わり普通の道に戻ったのであるが、やはりそれはミスコースだった。僕らは人に道を聞きまくって、なんとか元の道に復帰した。
国道に出てから最後のPCまでは登り基調のアップダウン路だった。時間はギリギリだったが、さっきの赤城山越えで相当お腹がすいていた。僕らはコンビニを見つけそこで補給をした。
ここで何か食べた方が結果的には早く走れる。そう思って僕はおにぎりを2個ほど買ったのであるが、焦るM女史は水とゼリーか何かを口に放りこむと、
と言って先に出発したのだった。
ちょうど同じころ例の二人組もそのコンビニにたどり着いた。赤城山はクローズジャストで登りきったらしい。僕はおにぎりを食べきると、その二人に挨拶してM女史を追いかけた。
しっかり補給したおかげで結構なスピードで走ることができた。細かいアップダウンも下りの勢いで越えていくことができた。それにもかかわらずM女史にはなかなか追いつかなかった。彼女も相当ぶっ飛ばしているようだった。
しかし、ちょっと小高い丘に差し掛かると、そこでへろへろになっているいるM女史を見つけた。彼女はもう少し何か食べておけばよかったと後悔していた。
追いついてからは、少しスピードを落として次のPCまで彼女をひっばっていった。そうしてなんとか最後のPCにたどり着いたのであった。
最後のPCはデイリーヤマザキだった。参加者が一人とスタッフがいた。小さな村なので、もうあまり食べ物は残っていなかった。かろうじてレンジで温めるご飯が残っていたのでそれを食べることにした。
PCにたどり着いた時は水を浴びたいぐらい暑かったが、ご飯を食べて休憩しているとずいぶん涼しくなってきた。僕らは今度は補給もしっかりとしてゴール目指して走りだした。例の二人はまだPCまで来ていなかったが、スタッフの情報によるともうすぐ来るということだった。
ゴールまではあとひと山あったが、その山は今までの峠は何だったのかと思うほどゆったりとした峠だった。道は日陰でヒグラシが鳴いていた。何だか登っていて気持ちよかった。
道は決してきつくなることはなく山頂と思われる分岐にたどりついた。まっすぐ行くと道はそのまま下っていくようだった。左を見ると、山頂かと思われたその場所からさらに登っていく激坂があった。地面もアスファルトではなくコンクリートっぽかった。
もちろんキューシートは左を差していた。宇都宮のコースはやはりこんなゆるゆるの峠で終わることはなかったのだ。これが最後。そう思って僕らはその道を登っていった。
最後にちょっと登った分、僕らは長い下りを下っていった。それは見晴らしもよくてダイナミックなくだりだった。結構なくだりで、これが反対に登っていたらかなりヤバかっただろう。
下りきったところには、とんでもなく大きな鳥居があった。僕らはそれをくぐり突き進んだ。
残りゴールまではほぼ平坦だった。しっかり食べたおかげで足はクルクルとまわった。いつしか道は昨日走った道になり、ついに戻ってきたぞという気分になった。
空が薄暗くなるころ、ついにゴールの建物が見えてきた。
そうして最後はかなりいいペースで僕らはゴールすることができたのであった。
ゴールの建物の前に自転車を置き、スタッフのいる部屋へと歩く。そこは施設の一番奥の部屋だった。ドアを開けると、
という声が響いた。それを聞くとやっと帰ってきたという実感がわいてきた。
それからは、3日間のコースの話で盛り上がった。M女史が赤城山の下りは最高によかったというと、そんなことを言う参加者はあなただけだとその場は笑の渦に包まれた。
しばらくして例の二人組が帰ってきた。彼らが最後の走者だった。今日のコース、かなりの参加者が赤城山でタイムアウトになったらしい。その赤城山をギリギリで登り切り、彼らはゴールしたのであった。
同じように男女ペアで走る彼らがゴールしたことはとても嬉しかった。
ゴールでの話は尽きそうになかったが、ほどほどに切り上げ僕らは帰ることにした。
ゴールはまたしても森林公園から少し離れた場所で、僕らは車の場所までもどらなければならなかった。
どっちが森林公園かわからずにいたのだが、ちょうど二人組もそこへ戻るようなので、四人で走っていくことになった。そういえば、初日も同じように森林公園に戻っていたのを思い出した。偶然とはいえ不思議な気がした。
いろいろ話をしていると彼らは今年のPBPに行くらしい。男性の方は前回も参加していたようで、奇遇にもゴールの時刻はほとんど変わらなかった。もしかしてPBPのゴール、同じ列に並んでいたかもしれなかった。
女性の方は今回のPBPが初めてのようだった。今日みたいなコース、ギリギリになりながらも走りきったのだから、PBPもきっと大丈夫だろう。
彼女とメールアドレスを交換したM女史は、
と言っていた。
帰りの車の中、僕らはどうすれば渋峠を完走できるかを話していた。走っている間は、なんでこんな坂だらけなんだと愚痴を言っていたのに、すでに僕らは宇都宮ブルべ中毒者になっているようだった。
週末になるとまた峠三昧かもしれない。
おわり