残り距離は350km。今日はなんとしてでも190kmは走らなければならない。僕らはこの横断中、おおいに景色や人とのふれ合いを楽しんできたが、特に観光などはせずひたすら東へと走ってきた。しかし、今日は少しだけ立ち寄る場所があるのだ。
それはゴールのフィラデルフィアのとある場所。その場所を目指して今日もスタートする。
今日も朝4時過ぎにスタートした。道はもうほとんど平坦だった。どちらかというと下りの方が多くて走りやすかった。
とにかく30号線を走ればゴールに着くはずで、僕らはひたすらに走った。
左にちらっと見えるのが自転車屋さん
飛行場の横を通り過ぎ、自転車屋さんの前も通り過ぎた。明るくなってたどり着いたガスステーションの朝日は久々にまぶしかった。このままいい天気で最後まで走れるといいなと思った。
どんどん東へと走っていると、道の先に大きな建造物が見えた。それは大きな川に架かる橋がちょうど横から見えているのだった。道は大きくカーブして僕らはその橋のたもとにたどり着いた。
今までも幾つもの川を渡って来たが、その川は今までで一番大きかった。僕らは橋の上で少し足を止め、しばらくその川の流れを見ていた。
橋を超えてしばらく走ると、とある街にたどり着いた。ふと横を見るとトライアルバイクに乗った青年が道の反対側を走っていた。そいつはかなりのケイデンスでペダルを漕いでいた。そして僕らを追い抜いていった。
僕は「よーし」と思い、ちょっと頑張ってもう一度そいつの横に並んでみた。そしてゆるい登りで少し前に出でみたのである。向こうは、まさか荷物を積んだ自転車が追いかけてくるとは思わなかったのだろうか?明らかに意識して、さっきとは比べ物にならない足の早さでピューっと前の方に行ってしまった。
僕も頑張って追いかけたのだが、そいつは路地の方に曲がっていってしまった。残念ながらその鬼コギのトライアルバイクに勝ち逃げされてしまったのである。
僕は荷物さえなければ、と思いながら足はヘトヘトであった。
路地へと逃げていったトライアルバイク
道をしばらく走っていると分かれ道があった。どちらも30号線の標識があったので、僕らは本線と思われる方へと進んだ。そっちの道は少し街中から離れ景色は殺風景だった。
実はその道はハイウェイだった。自転車は走ってはいけないハイウェイだったらしく、しばらくして僕らはまたもやパトカーにサイレンを鳴らされたのであった。
今度の保安官はカンザスの時とは違い少し怖かった。罰金でも取られそうな勢いに感じられたが、幸いハイウェイの出口は目の前だったので僕らは直ぐに外へ出ることで許してもらうことができた。
僕らは仕方なく今まで走っていたハイウェイと平行に走る道へ移動した。結果的にはそっちの方がいろいろと景色が変わって、走っていて楽しかった。そんな面白くない道はやめて、こっちを走りなよ。なんとなくそんな不思議な力が働いた気がした。
ハイウェイを降りたところはきれいな街だった。
突然であるが、お尻の話。よく何百キロも走るとお尻はいたくないのかと聞かれる。もちろん痛いことは痛い。しかし今回の場合お尻よりも日焼け、特に唇の方が痛かったかもしれない。
さて、既に今日で4800kmもの距離を走って僕のお尻はどうなってしまったのか?実は何も感じなくなってしまったのである。
最初の10日間ぐらい、ロッキー山脈を超えるぐらいまでは擦れたりもして痛かった。次の10日間、コロラドの大平原を走るあたりからは痒くてたまらなかった。日本のように湿度が高いともっと蒸れてひどいことになりそうだが、アメリカはカラッとしていて擦れていた部分が治りかけて痒いのである。そして最後の数日、ペンシルベニアの激坂地帯を抜けるとついに痛みは感じなくなったのである。僕はついに鉄のお尻を手に入れたのだ。もうどれだけ自転車に乗っても痛くなかった。
もうほとんどフィラデルティアの近くだというところで、僕らは自転車屋さんを見つけた。お昼過ぎで店も開いているようだったので、僕らはフロアポンプを借りることにした。ところが店の人が持ってきたフロアポンプはどうも具合が悪かった。なぜかM女史のタイヤの空気はどんどん抜けていくのであった。まさか自転車さんで空気を抜かれるなんて!店の人は仕方ないなぁという感じで明らかに売り物と思われる新品のフロアポンプで空気を入れてくれた。タイヤの空気はなんとか適正空気圧になったのであった。
今日走っている道は、もうほとんど街と街の間が途切れないぐらいだった。華やかな場所かと思えばダウンタウンになったりを繰り返しながら、いよいよフィラデルフィアに近付いていくのがわかった。
路面電車が走っている場所まで来ると、もうそこはフィラデルフィアの市内だった。街の壁には落書きのような物も多いが、中にはアーティスティックな物もあった。
車がいよいよ多くなってきた。M女史はあのイリノイの事故以来、本当に車に対する恐怖と戦っていたが、この辺りになってようやくそれを克服しつつあった。
遠くにビルの立ち並ぶ中心街が見えた。そこは今日のゴール。ついに僕らはここまでやってきたのだった。
僕らが今日立ち寄りたかった場所。それはフィラデルフィア美術館だった。
そう、ここはかの有名な映画ロッキーに出でくるあの場所である。僕らはここに立ち寄るためにペンシルベニア州の真ん中を抜けてきたのだった。
僕らは目の前の大階段の上まで上がった。あの映画で見た景色が目の前に広がった。まさにそこはロッキー・バルボアが階段を駆け上がり、両手を上げたあの場所だった。
今日は朝から「バルボアに会いに行くぞ」が僕らの合言葉だった。ペンシルベニアは厳しかったが、走ってきて良かった。本当にそう思った。
今日は予定通り190kmを走った。今日はこの街で泊まることにする。
あまりに高級なホテルが多くモーテルはなく、ホテル探しには苦労した。自転車のジャージ姿では丁良く断られたりもした。
横断歩道の向こうから歩いてきたのは?
たまたま遭遇した観光案内員に聞いたホテルに行きやっと寝床を確保できた。時間は6時前だった。観光地料金なのかモーテルの三倍ぐらいの値段だった。
その夜、僕らが晩ご飯に選んだ店はイタリアンレストランだった。そこは道に面したオープンテラスになっていて、フィラデルフィアの街並み、行き交う人々を見ながら晩ご飯を食べることができた。僕らはパスタを食べながら話をした。話したことはもちろん明日の目的地ニューヨークのことだった。今日もがんばって距離を伸ばせたおかげで、残りの距離はもうあと160kmだけだった。明日は山やアップダウンなんか一切ない。海抜数mの平坦路を走るだけ。いつものように朝4時ごろに出れば昼過ぎにはつけそうだった。
ランドリーを探して洗濯をするのも今日で最後。その洗濯物はレストランの向かいにあったコインランドリーでもうそろそろ乾燥が終わろうとしていた。そして僕らはご飯を食べながら意気揚々としていたのである。
ご飯を食べてホテルに戻ると、明日も4時に起きて出発するべく、わくわくとした気分で眠りについたのであった。