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Day23 ペンシルバニア

Posted by on 2011/03/23
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今日のルート



今日はいよいよ最後の難関ペンシルベニア州に入る。坂道だらけという噂は本当だろうか。そしてアパラチア山脈とはいったいどんな姿をしているのだろうか?
改めてプロフィールマップを見ると特別高い山はないが、明らかにギザギザが多いことに気がついた。残りの距離は約690km、あと四日で走る予定だ。平均200kmは切った計算になるが、まだまだ油断はできなかった。明日からが楽になるように200kmを目指して今日もスタートした。

いきなり



モーテルを朝4時ごろスタートした。スタートしていきなり登りが始まった。ペンシルベニアの州境までその登りは続いた。
道はとても狭かった。そして近くにハイウェイがあるはずなのに、何故かたくさんのトラックがその道を走っていた。夜明け前のこの時間、車は少ないはずなのに、その道だけはいつもと違っていた。僕らは、何台ものトラックに追い越されるたびに恐怖を覚えながら、ひたすら州境目指して登っていった。
そしてやっと僕らは頂上付近についたのであるが、余りの車の多さに州境と思われる場所で止まることは許されなかった。州境の看板はあったのかどうなのかわからない。しかし、そこには日本の場末のスナックのような小さな建物がポツンと建っていたのを、横目に見ることができた。

Shot bar border!

と書かれたネオンが光っていたので、間違いなくそこが州境だろう。
僕らが立ち止まることができたのは、そこからしばらく走った場所だった。道は曲がっていて、さっきのショットバーはもう見えなくなっていた。車が少なければ写真でも撮りたかったが残念だった。
僕らが立ち止まった所には、州境のかわりにワシントンと書かれた街の看板があった。それはペンシルベニアの街だった。僕らは仕方なくその看板の写真で我慢したのだった。


暗くてわかりにくいが、ワシントンの看板の前にて
ワシントン


明け方に見つけたバイシクルショップ

州境からワシントンの中心街まではほぼ下り坂だった。その途中に自転車屋さんを見つけた。その後もよく見かけたがペンシルベニアはやたらと自転車屋さんが多かった。道路にもいたるところに、Share the roadと書かれた標識が目立つ。やはり、坂のある所ほど自転車乗りが多いのは間違いないようだ。
ワシントンの街にたどり着くと、僕らはその街でガスステーションを見つけ朝食を食べた。そしてこの街で40号線とは離れて、しばらく田舎道を走った。


40号線から離れて136号線を走る。車は少ないがアップダウンは多い

その田舎道はびっくりするぐらいアップダウンがあった。特に街に近づくほど斜度がきつく10%を越えているように思えた。何故一番険しいと思える場所に街があるのだろうか?


カメラ目線の牛さん


坂だらけの街。向こうに見える坂は10%超えてたと思う
雨と峠

この日は昼前ぐらいからしとしとと雨が降ったり止んだりしていた。アップダウンが激しくなかなか進んでいない上に、雨にまで降られ散々だった。
150km地点あたりに峠があることがわかっていたが、その峠に差し掛かったのはもう夕方になろうかというころだった。いつもならこれぐらいの距離は昼過ぎには走り終わっているのに。急な坂道と自転車に付けた荷物が確実に僕らのペースを落としていた。
少しは止みかけていた雨も峠を登り出したころには本降りになったきた。ゆっくりと坂を登りながら、今日はどこまで走るのだろうかと思った。
やっとのことで長い坂を登り終えたが、まだまだこの先もアップダウンが続くようだ。下り坂の谷間の先にまたまた長い登りが見えるのだ。
そんな時、道の傍にモーテルの看板を見つけた。この辺りにモーテルなんてあるのだろうか?しばらく、村らしいものもなく、ひたすら坂道ばかりだったが…。でも見つけたら入ってしまいそうだった。
そして、しばらく走ると本当にモーテルがあったのだ。しかし今日はまだ160kmちょっとしか走っていなかった。僕らはどうしようかと話した。先に進みたいという焦る気持ちも無くはなかったが、それ以上に体は疲れていた。だから今日はここに泊まることにしたのだった。
結果的にはその先60km以上はモーテルがなかったし、雨もかなり降ってきたのでここに泊まったのは正解だった。

ロシアのおじさん
「今日泊まる部屋はありますか」

僕はモーテルのおじさんに聞いた。

「オー、ワタシイングリッシュワカラナイ」

おいおいここはアメリカだぞ。アメリカのモーテルで英語がしゃべれないとは、どうやって商売しているのだ?
そう思いながらも仕方なくカタコト英語作戦にでた。

「ワンナイト、ステイ、OK?」

すると、おじさんはにやりと笑いOKと答えたのであった。一瞬ここのモーテルはダメかもしれないと思ったが無事泊まることができた。
そのおじさんと色々話をしていると、おじさんは昔ロシアからやってきたそうだ。そう、おじさんとは色々と話せた。本当はおじさんは英語がペラペラだった。おじさんの手にはずっと缶ビールが握られていた。さっきのは酔っ払いのおふざけだったようだ。
僕らはランドリーがないかおじさんに尋ねた。するとこの村の反対側にあるらしい。ちょっと距離があるので困っていると、おじさんが「車で送ってやるぜ」と言ってくれた。
僕らは早速洗濯物をまとめて、ランドリーへと向かった。茶色のセダンを運転するおじさんの手の缶ビールは見なかったことにした。
洗濯をするのには30分はかかる。僕らは一度モーテルへと戻った。そして待っている間に僕はモーテルの隣の店に晩ご飯を買いに行った。モーテルのおじさんは出前を頼んでもいいんだぜ、と言っていたが、メニューを見るとハンバーガーかピザしかなかった。僕らはそういったものは昼間にいっぱい食べ過ぎていた。店には冷凍食品しかなかったが、それでも米や肉類を食べられる分そっちの方がマシであった。
僕が買い物に行っている間に30分たったようで、M女史はおじさんと一度ランドリーに行っていた。洗濯物を乾燥機にセットするためで、それはまた20分ほどかかるのであった。
そろそろ20分たっただろうと、僕はおじさんを呼びにいった。おじさんは上半身裸で立派な胸毛をこれでもかと言わんばかりになっていた。
おじさんは、乾燥はまだだろうと言ってなかなかランドリーには向かわなかった。

「ちょっと、こっちへ来な」

そう言っておじさんが呼んだ場所はひまわり畑だった。ここには他にもいろんなものを育てていて、果物や野菜もあるらしい。確かに周りを見渡すとそのほとんどが畑であった。

「ロシアにはな、こんなのよりもっと大きなひまわりがあるんだぜ」

そう言っておじさんは腕全体を使って大きな輪っかを作った。
そのひまわりを見て、そしてロシアのひまわりに思いを馳せるおじさんを見て、なんだかここに泊まってよかった。僕はそんな気持ちになった。
結果的に三回もランドリーに行ってくれたおじさんに僕はお礼を言った。おじさんは、にやりと笑った。
今日は200km走るつもり160kmしか走れなかった。残りは3日で530km。今日泊まった所は峠地帯のど真ん中で、明日も今日以上に峠が続く。なかなか距離が伸びずいよいよギリギリになってきた。果たして明日はどうなるのか?
夜中も雨は降り続いていた。

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