昨日は本当はあと10kmほど先のロックビルという街まで走るつもりだった。距離が短かくなった分は今日走る予定である。
今日はインディアナ州の州都であるインディアナポリスを通過する。大きな街なので交通量が心配である。
ゴール予定地はリッチモンド。オハイオ州までほんの数キロの街である。今日もほぼ平地のはずである。
洗濯物も無事昨日のうちに返ってきて、僕らは今日も朝4時に出発した。
すると、昨日見たあのドブ川で釣ったナマズに違いないという話になった。断じてそんなことはないと僕は思うのだが。
それにしても、あのドブ川は臭かった。ドブ川もさることながら、結構大きな亀が車にはねられていて、それも強烈な臭いだった。ほんとに色んな動物が轢かれているが、特にその亀のことは二人ともよく覚えていた。
そんな話をしながら10kmほど先のロックビルまではそれほど時間もかからずたどり着いた。まだ外は真っ暗で、大きな教会がライトアップされ幻想的であった。この街もそれほど大きくはなく、あたりを見回してみたがモーテルらしきものは見つからなかった。昨日あのモーテルを見つけたのは実にラッキーだった。
僕らは午前中の間に順調に距離を伸ばした。そしてインディアナポリスが見える所までやって来た。とても大きな街で遠くからでも大きなビルがいっぱい並んでいるのが見えた。街の手前は思っていたほど車は多くはなく、比較的走りやすかった。
僕らはダウンタウンを通り抜け、街の中心部と思われる場所にたどり着いた。そこは交差点になっていて、有名なホテルなどもあって、ビジネス街のような雰囲気だった。僕らは久々の都会に興奮気味であった。今までが余りにも畑と牧草地帯すぎたのだ。
僕らはこの街の真ん中で少し早めの昼食をとることにした。何かないかと探して見るとアジア料理の店を見つけた。さすが都会。それは今までにないジャンルの店だった。
メニューの中にはうどんなどもあったのだが、M女史は焼き飯、僕はタイヌードルを食べた。久々にまともな物を食べた気がして、それはとても美味しかった。
今まで散々走って来た36号線と遂に別れる時がやってきた。36号線は僕らの向かう方向とは違う方向に行ってしまうのだ。さようなら36号。今まであんなに真東に向いていたのに、君は北へ行ってしまうんだね、君のことは忘れないよ。そして、こんにちは40号。インディアナポリスを出て僕らは40号線を走りだした。
街の東側に伸びる40号線は、今までと違い一気に車の量が増えてきた。そしてかなり工事中の箇所も多かった。少し走りにくい場所もあったが、路肩は車道より広い時もあったし、工事エリア内も自転車なら走ることができた。車は入ってこれないので安心だった。
そうしてインディアナポリスから今日の目的地までのちょうど4分の3を進んだところで、僕らはは一人の青年に出逢った。彼も自転車乗りだった。自転車にはリアカーが付いていて、たくさんの荷物を積んでいた。僕らは少し足を止めその青年と話をした。
彼も今アメリカを横断しているようだった。僕らとは反対向きにカルフォルニアまで行くそうだ。今まで僕らが走って来た場所のことをたくさん聞かれた。
何か見るべき物はあるのか?僕は答に少し困った。正直しばらく畑しかないのだ。あまり山はないのか?この先はどんどんアップダウンが増えてくるし、標高も徐々に上がる一方だった。逆方向の方が微妙にしんどいような気がする。
しばらくそんなことを話していたが、僕らは先を急ぐのでお互いの幸運を祈り別れを告げた。
40号線も結局まっすぐだ
リッチモンドに入って教会を見つけた。ほんとに教会は多い
僕らは昨日走れなかった分も含め217kmの距離を進み、予定していた通りリッチモンドまで走りきった。時間は午後6時だった。こんな時間まで走ったのは久々で二人ともヘロヘロだった。そんなわけで僕らは最初に見つけたモーテルに駆け込んだのだった。
しかし、どうもそのモーテルはいろいろと具合が悪かった。元気だったらもっと別のモーテルを探していたことだろう。そのモーテルのおばさんはネイティブのアメリカ人ではないのか、訛りがひどいのかとにかく英語があまり通じなかった。それから最初に案内された部屋は電気が全く来ていなかった。真っ暗なうえ、特にエアコンが無いのは致命的だった。
しばらくおばさんはブレーカーの修理に右往左往していたが、拉致があかないので部屋を変えてもらった。そしたら値段はそのままで一番広い部屋に変えてもらえた。これだけはラッキーだった。
冷蔵庫をあけてみたら、袋にどっさり入った冷凍のじゃがいもがあった。
そんなこんなで、やっと僕らは落ち着くことができた。
明日はいよいよオハイオ州である。?あと6日を残してついに距離は残り1000kmを切った。距離だけをみるとだいぶ余裕が出てきたようにみえるが、何があるかわからないという不安で気分的には全く余裕はなかった。
実際、最後の6日間はほんとに色んなことがあり、簡単にはいかなかったのだ。僕らはモーテルの近所で晩ご飯を済ませると、明日のために眠りについたのだった。
おお、なっつかしのインディアナポリス!!
1985年の8月某日、ここで昼食。たしか、チョコミルク1パイント(=約1L)・シリアル5カップ・トマト1個・ハム200g程、謎のきゅうり、それにオレンジ、やったかな??