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Day17 イリノイの保安官

Posted by on 2011/01/31
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今日のルート



ミズーリ州は東西の幅はそれほどなく、今日のお昼までには次のイリノイ州に入れそうである。州境にはハンニバルという街がある。そこから更に100kmほど進んだジャクソンビルという街を目指して走る。



この日は3時半にモーテルを出発した。もう二人とも眠気はMAXだった。眠いとスピードはゆっくりになり、なかなか同じようなペースでは走れない。もうずいぶん前から、一緒にならんで走る区間は減っていた。特に夜明け前は、気がつけばどちらかがかなり後ろの方まで千切れていた。遠のいた自転車のライトをお互い待ったりしながら進んだ。そうして走りながら今日もやっと夜明けを迎えた。

アメリカの道路

アメリカの道路は大きな道には多少なりとも路肩があった。白線の内側にはランブルストライプというデコボコがある。これは居眠り運転した車などが道路をはみ出た時に気づかせるためのものだ。僕らはさらにその内側を走るのだが、たまにそのデコボコに乗ってしまうことがあり、かなりの衝撃が腕に走った。
道路の外側は砂利か土で固められた地面で、日本のように溝があるところは一切なかった。だから眠気でフラついて溝にはまるということがないのは安心だった。
路肩にはそこら中にバーストしたタイヤの破片が落ちていた。踏むと今度はこっちがパンクするので、これはよけながら進んだ。
その次に多いのが車に跳ねられた動物の死骸だった。少なくとも1kmあたり1匹ぐらいは転がっていた。とにかく道は直線で車はかなり飛ばしているので、動物はすぐに跳ねられてしまうのだった。ある程度はよけて走るが、毎日数分ごとに目撃しているとだんだんとそれが普通になってきて、踏んでしまっても気にならないぐらいになってしまっていた。
直線を走っている車はほんとにかなりのスピードで、よそ見をしている可能性も高く怖い存在であった。しかし、それを除けば総じて車のマナーは良くて、道路脇から出てくる車などは一旦停止をしない車はほとんどなかった。歩道のかなり手前から一旦停止をするので横から当てられる不安はほぼ皆無といってよかった。
そんな感じで走る36号線も、もう6日目に突入していた。1000km以上も同じ道を走り続け、景色も代わり映えしないその道に僕らはたいぶ飽きてきていた。明るくなってからも、ずっと眠かった。

ハンニバル




モーテルを出た時にはハンニバルまで62マイル(約100km)と書いてあったが、午前中のうちにその距離を走り終え僕らはハンニバルという街に近づきつつあった。その街は次のイリノイ州との州境にある街だった。
今度の州境もちょうど川に架かった橋の上であった。僕らは11時前にそこにたどり着いた。僕らは州境という目標が近づくと休むのも忘れて走ってしまった。なのでそこにたどり着いた時にはかなりお腹がすいていた。橋をわたったところに何かガスステーションとかあるだろう。という何の根拠も無い勘をたよりに橋を渡ったのであるが、そこにはイリノイの農牧地帯が広がっているだけだった。

村の集会所



僕らは腹をすかせたまましばらく線路沿いの農牧地帯を走った。15kmほどほんとに何もなかったが、道の先に小さな村があるのが見えた。しかし、あまりにその村は小さくて一瞬店なんか無いのではと思えた。
僕らは村の集会所のように見える建物の前で止まった。でももしかしたら何かの店かもしれない。という望みを託して僕はその建物のドアを開けた。中にはここの村人らしき人がたくさん座っていて、全員が僕のほうを見た。一瞬空気が固まる。その感じは完全にやっぱり村の集会所であった。しかし・・・・・、

「レストランだよ」

一人の村人がつぶやいた。やっぱりここはレストランだったのだ。助かった。僕らはご飯にありつくことができた。
テーブルについた僕らに、店のおばちゃんがメニューを持ってきた。

「今日のお勧めはミートローフだよ。サンドイッチなんかもいいね」

メニューには他にもハムエッグやら、ハンバーガーなどがあった。僕はお勧めのミートローフを選んだ。M女史は何を選ぶか考える元気もないぐらいへろへろで、とりあえずハンバーガーを注文した。
食べ終わって奥のトイレに行った。そこには長机や椅子などが仕舞われていた。やはりここは集会所なのかもしれない。

イリノイもアップダウン

イリノイに入りさらに道のアップダウンが増えてきた。もうずいぶん前から、登りになると僕の方が遅れ気味だった。僕の自転車の重量の方が重いこともあり、これだけ毎日走っているとその差が顕著に表れてきていた。まだ先も長く全力でペダルを漕ぐわけにもいかない。とにかくペースを崩さないことが大事だった。
それにしても余りにもスピードが乗らない。相談して一度CO2ボンベで空気を入れ直してみた。少し軽くなった気がした。
ところがである、久々のちょっとばかり長い下り坂を下っているとバシュッといって後輪がパンクしてしまったのだった。空気を入れてから1時間もたっていなかった。
M女史は気がつかずに先へと行ってしまった。仕方なく道路の傍で一人でパンク修理した。

イリノイの保安官

色々ありながらも今日もなんとか前へと進み、目的の街までもう5マイルも無いぐらいまで迫っていた。
ところがである。道を走っていると突然パトカーがやってきて、僕らの前に停まったのであった。

「おいおいお前達、ここは自転車は走れない場所だぜ。こんなとこ走るやつは初めてみたぜ。」

と言って、保安官は笑っていた。そのハイウェイは自転車通行禁止だったのだが、そんなところを走るクレイジーな僕らをみて、保安官はおかしくて仕方ないようだった。
保安官がいうには、これ以上この道を走ることはまかりならないようで、今すぐ有刺鉄線を乗り越えて外に出ろということだった。しかし百歩譲って自転車を担ぎ上げて柵の向こうに運ぶことはできても、僕らが無事に有刺鉄線を超えられるとは思わなかった。
ほんの数キロ先にハイウェイから降りる道があるので、そこまでで勘弁してくれと頼んだら、見つけた以上あと1mでも進んだら違反切符を切らなきゃならないし、罰金もいっぱい払ってもらわなきゃならないということだった。
そうして三人で困っていると、荷台が付いた車が道の傍に停まった。

「お前らどうしたんだ、何か力になろうか。」

その車のおっちゃんは窓を開けてそう言った。おっちゃんと保安官はしばらく話をしていた。

「ごにょごにょごにょのごにょ」

そして他に選択肢も無く、結局ぼくらはそのおっちゃんの車の荷台に自転車を乗せ、ハイウェイを降りるところまで運んでもらうことになったのである。

ジャクソンビル

そうしてハイウェイを降りたところまで運んでもらったのであるが、そこはもうゴールの街だった。 時間は午後5時ぐらいだった。

「お前達、泊まるところは決まっているのか?」

そう言っておっちゃんは、後部座席の僕の方へ振り返って訪ねてきた。前は見ておらずちょっと、いやかなり危ない。泊まるところは決まってないと答えると。

「いいモーテルがある。」

と行って案内までしてくれた。
そこはいつものリッチモーテルだった。それはつまり、アメリカ人的にもおすすめということらしい。
僕らはモーテルまで運んでくれたおっちゃんにお礼を言った。おっちゃんはニコニコした表情をうかべ走り去っていった。
僕らはまたまたアメリカ人に助けられた。ほんとに皆優しかった。

レストラン

今日のモーテルはランドリーはあったが近くにスーパーがなく、晩ご飯はモーテルの近くにあった Arby’s というレストランで食べることになった。そこは店の窓には大きくレストランと書いてあったのだが、実際のところ中はバーガーショップだった。
とりあえずハンバーガーのセットを頼んだら、ポテトが山盛り付いてきた。そのポテトは結構塩まみれで、唇が日焼けで割れている僕らには食べるのが結構辛かった。唇には毎日クリームを塗ってだいぶ治りかけていたのだが、その山盛りポテトはまるで罰ゲームのようだった。
今日は200kmちょっとを走り合計3500kmを超えた。あと千数百kmでニューヨークだが、ここに来て僕らは相当の寝不足気味だった。ずいぶんと走るペースも落ちてきていた。
とにかく僕らは1分でも早く眠れるように、やることを済ませるとすぐに横になったのであった。

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