今日から道は40号線に入り、デンバーの手前ぐらいまでひたすら東へと走る。そして今日はいきなり30km弱の登りから始まる。標高は2400mまで上がる。頂上には湖があるようだ。
その後は下り基調であるが、アップダウンは相変わらず。204km走りバーナルという街をめざす。
↑40号線の標識、この標識をトレースして走る
朝といっても、昨日と同じく2時に起床。深夜である。朝ごはんを食べて3時にモーテルを出発した。気温は低く、防寒のためカッパを着てちょうどいいぐらいだった。
街を離れると、いきなり登り区間が始まった。緩い登りではあるが、これが30kmも続くのだ。眠気と戦いながらゆっくり登るしかなかった。道の横には小さな川が流れていた。そして時折、道の傍からがさごそと動物が動く音が聞こえた。
空が少しづつ明るくなってきたころ、やっと頂上が見えてきた。頂上には、ロッジ風の宿泊施設があった。ひっそりとして、まだみんな寝ているようだった。
山の上はしばらく平坦な道が続いた。右手の方向には、大きな湖がみえる。しばらく湖岸沿いの道を走る。空はすっかり明るくなったが、時折朝もやで辺りは真っ白になったりした。
湖ではこんな朝早くからジェットボートに乗っている人がいた。気温は低く水辺で遊ぶにはそれはあまりにも寒そうであった。
湖岸沿いの道が終わるとやっと道は下りだしが、その下りはあっという間に終ってしまった。登った距離に比べてそれはかなり短い気がした。
道はアップダウンの続く荒野になった。もうだいぶ距離を走ったと思うが、今日はまだ一つも街にたどり着いていない。眠気はあまりなかったが、少しお腹がすいてきた。
しばらく走ると今度は左手の方に綺麗な湖が見えた。そして、遠くに長く横たわる台地がみえる。山肌は地層の縞模様になっており、そこはおそらく断層で遥か昔に大地がずれてできたのだろう。
そんな荒野の下り坂を下った所にやっと今日最初の街があった。僕らはその街の入り口にあるガスステーションに立ち寄った。
喉はカラカラなので、例の如く大きなカップでドリンクを購入した。このガスステーションにはサブウェイがあった。M女史は日本でもサブウェイに行ったことがないらしく、アメリカにて初サブウェイだった。
サブウェイはサンドイッチの間に挟むものを自分の好きなようにアレンジできる。その時のお腹の減り具合で加減ができるのは、なかなか好都合だった。また、アメリカのパンはいまいちなイメージがあったのだが、ここのパンは種類も色々ありなかなか美味しかった。たぶん日本にはないだろう12インチのロングサイズもある。僕はそのロングサイズを買って、半分は店で食べて、もう半分は持って走ることにした。
↑これぐらい殺風景だが、唯一の補給ポイントなのに・・・
ユタ州にはかなりキテるチャリダーがいた。彼は全身真っ黒のジャージで、それはどことなく土で汚れていた。荷物は中くらいのキャメルバックのみ。たったそれだけの装備で彼はユタ州の荒野をひた走る。彼の職業はそう、チャリダーだった。と言われても信じてしまいそうな雰囲気を醸し出していた。
そんな装備にも関わらず彼は街をスルーした。ほぼ空っぽのキャメルバックで何も無い荒野へと走り去る。かのように見えたのであるが、さすがに空のキャメルバックはマズいと思ったらしく、舞い戻って来たところに出くわしたのであった。
買い物をしていた僕たちに、彼は「ハイ」と声をかけてきた。振り向くと彼は店のジュースサーバのドリンクをキャメルバックがたぷんたぷんに膨れ上がるまで注ぎ込んでいるのだった。その姿はかなりキテいた。
訛りが強いのか彼の言葉はよく聞き取れなかったが、彼もアメリカ中を自転車で走っているのだった。そしてこれからワイオミング州へ行くと言っていた。たぷんたぷんのキャメルバッグを背負い彼は旅立っていった。
街を出ると、またしばらく何も無いまっすぐな道が続いた。時間も正午近くになり気温もかなり上がってきた。太陽の熱はかなりきつく、肌を出している部分の日焼けはここまでで結構ひどくなっていた。特に、唇は腫れ上がってひび割れていた。塩分の効いた食べ物は食べるのがちょっと大変になってきていた。
そんなことを考えたりもしながら走っていると、すぐに喉が乾いてきた。ボトルのドリンクはすぐに温かくなってしまう。冷たいドリンクが飲みたい。するとコンビニエンスストアと書かれた看板があった。しかし、そのコンビニは道を外れてだいぶ向こうにあるようだった。
そうかと思えば、VENDING MACHINEの看板があるレストエリアの看板が見えた。しかし、そこには明らかになにもなさそうであった。
この何も無いと思われる区間はもっと長かったように感じたが、実際には1時間半ほどで次の街についたのであった。あまりの暑さに冷たいドリンクを飲むのはもちろんであったが、アメリカに来て初めてアイスクリームを食べることにした。どうせなら日本にはなさそうなアイスクリームを食べようと思い選んだのが緑色の怪しいアイスクリームだった。M女史はあまりの気持ち悪い色に目を背けてしまった。しかし、味は普通にうまかった。いや、ほんとに。
昼を過ぎ、残す距離が50kmになると風景は赤土の大地へと一変した。昼までの150kmはそこそこのペースで走ってこれたのであるが、最後の 50kmは街も全く無く、風も出てきて厳しい区間となった。特に街の手前の10kmぐらいは延々と登りが続いた。その坂道を登りながら今日のルートを思い出す。きれいな湖があって、断層がずれた台地があって、そうかと思えばこんな赤土の大地が現れて、ユタ州ってほんとに色んな顔があるんだなぁ。そんなことを考えているといつの間にか頂上に着いたのであった。
ふと、その頂上で声をかけてくる車がいた。通り過ぎたかと思うとその車はUターンをして戻ってきた。それはあのユタ州で写真のシャッターを押してもらったあの家族だった。こんなところで再び出会うとはなんという偶然なんだろう。再び会えたことを僕らはうれしく思い、また向こうもこっちが順調に走り続けていることに更なる声援を送ってくれたのであった。おかげで辛かった最後の区間の疲れは吹っ飛んだのであった。
頂上からはゴールの街が下に見えていた。そして、一気に下るとあっという間に街に着いた。今日のモーテルは街に入ってすぐの場所に見つけた。モーテル6、アメリカの比較的色んなところにあるモーテルのチェーン店である。大きなモーテルでランドリールームはモーテル内にあった。トラベラーズチェックも問題なく使えた。隣には大きなスーパーもあり立地条件も完璧だった。そんなモーテルにチェックインできたのは4時半だった。
こんな時間に付いても、眠るのはだいたい8時ごろである。モーテルに着いたら、結構いろいろとしなければならないことがあるのだ。毎日モーテルに着いてから、明日に向けていったい何をしていたのか、少し詳しく書いてみたいと思う。
まずはシャワーを浴びて、すぐにランドリーに今日の洗濯物を放り込む。ランドリーは洗濯槽が$1?1.5$ぐらいで、乾燥機が1$ぐらい。それぞれ大量の25cコインが必要である。無ければフロントで両替してもらう。
洗濯機を回している間に、スーパーへ買い物に行く。今日のスーパーはかなり広くて何でもありそうだが、ほしいものを見つけるのは大変だった。買うものはたくさんある。まずはゲータレードと水。これは明日ボトルに入れるためのものだ。晩ご飯は電子レンジで暖めて作る冷凍食品がメイン。この手の冷凍食品は基本ろくなものは無いが、今日のスーパーはかなりレベルの高い冷凍食品を手に入れることができた。その他、サラダとか惣菜があれば買い足す。巨大なオレンジジュースのパック。ヨーグルト。りんご。バナナなども買う。ここまで買うとこれ以上持てないので、一旦ホテルへ引き返した。再び、アイスブロックを買いにスーパーへ行く。これが一袋が大きくとてつもない量なのだが、値段は$1ぐらい。それを持って帰る。何日か後には気が付くが、この手の大きなモーテルだと大体アイスマシーンがあるようだ。大きな氷の袋は実は買う必要などなかったのだ。
さてこのアイスブロックだが、これは手を冷やすためのアイシングに使う。実はM女史、出発間際になって右手が腱鞘炎になるというハプニングに見舞われたのである。一時はアメリカ横断は厳しいんじゃないかと思ったのであるが、毎日走り終ったらしっかりアイシングをすることで、なんとかここまで走ってこられたのであった。
買い物が終わると、モーテルの電子レンジで冷凍食品の調理。といっても暖めるだけであるが。毎日お腹はぺこぺこでこの電子レンジの時間は結構苦痛だった。
食べ終わるころには、洗濯は終わっているので乾燥機へと洗濯物を移す。この乾燥機がなかなか曲者で、一回あたり10分ぐらいで停止してしまう。だいたい2回ほど回せばあらかた乾いてくれる。
平行して、自転車の整備なども行う。といっても、チェーンを拭いたり油を塗る程度である。タイヤの圧が減っているようなら空気も入れる。元々空気は2、3日に一回程度入れればいいと思っていたが、今日は前のタイヤ、明日は後ろのタイヤといった感じでほぼ毎日入れていた。CO2のカートリッジも持っていたが、それを使うのはここぞという時である。、普段は携帯のポンプで入れていたので、毎日空気を入れるのはなかなか大変だった。とくに後ろのタイヤは荷物を積んでいるので圧が減り気味であった。しかし、入れると入れないとでは楽さは明らかに違った。
最後に、エネループやカメラなどを充電機にセットする。そして、明日のルートの予習をして、だいたいどの辺りまで走れそうかを考えておく。明日はいよいよコロラド州に入る。そして200kmぐらい先の街まで走ることになるだろう。
そうこうしているうちに今日も終わりそうである。まだ外は明るいうちに今日も眠りについたのであった。