今日の予定距離は215km。州境の手前のホイーリングという街を目指して走る。カンブリッジという街までは、40号線を走るが、そこから国道を離れて少しだけ田舎道を走る。
今日も朝4時に出発できるように起床した。M女史は寝ている間、腱鞘炎を抑えるためにアイシングをしていたのだが、ここ数日は腕ではなく肋骨の方を冷やしていた。僕が打ち身だと思っているが、実は折れている肋骨はかなり痛むようだった。
朝は昨日買っておいたバナナパンを食べた。ここにきて日本の菓子パンを食べられるとは思ってもみなかった。
外は暗く車はほとんど走っていなかった。今のうちに僕らはコロンバスの街を抜け出てしまうことにした。
市街地を離れると40号線には割と幅の広いバイクレーンが完備されていた。時には車道の倍ぐらいの幅になることもあり、そういった場所はとても走りやすかった。
しかし、街中や住宅地に入ると庭の芝生が道路にせり出したりで、バイクレーンは完全になくなるのであった。東へいくにつれ街中の車の数も増えてきていた。街を抜けるまでの間、それはM女史にとって恐怖の連続で、なかなか普段のように走ることができずにいた。
しばらくは平地だと思っていた道も、午前中の内にはもうアップダウンが増えてきつつあった。しかしこの辺りではこんなのは平地なのだと言い聞かせ僕らは前へと進んだ。
夜明け後たどり着いたゼーンズビルの街
ゼーンズビルにあった教会?
カンブリッジ、坂の多い街だった
僕らはお昼前に約120kmを走り、カンブリッジにたどり着いた。街の中の入り組んだ道をコマ図を頼りに進む。そして、40号線を離れてちょっとした田舎道に入っていった。今までと違う道を進むのはいい気分転換になった。
その田舎道は路肩はほどほどの広さだったが、車は一気に少なくなりかなり走りやすい道だった。アップダウンも更に激しくなったのだが、その道は登った分はしっかり下ってくれた。僕らは久々に軽快に走れたような気がした。下りの勢いで登り坂をどんどん超えて行ける。それはとても気持ちよかった。
僕らは田舎道の途中にコンビニのような店を見つけて立ち寄った。いいペースで走れた分、暑くてしかたなかった。だから、久々にアイスを食べた。
今日も素晴らしいアイスに出会えた。ロケットのように尖ったそいつは、赤と白と青にわかれていた。なかなかの配色センスだ。僕はパクリとそいつを食べた。
僕らは田舎道から再び40号線に戻っていた。そして今日のゴールまでの最後の下り坂と思われる道を下っていた。あとはどんどん下れば到着だと思っていた矢先に道は工事中で通行止めになっていた。看板には迂回路は右折と書いてあった。知らない道なのでどっちに行くかまるでわからないが、僕らは多くの車が向かっている道を選んで進んでいった。
道は何故かずっと登り坂でどんどん登っていった。ときおり眼下に見えるゴールの街が小さくなっていくのがわかった。
途中、道がわからなくなったので僕らは車を止めて聞いてみた。
道を尋ねた後もこれでもかと言わんばかりに道は登っていった。道が下りだしたのは街がほぼ真下に見えるぐらいに近づいた時だった。さっきのおじさんの言った通り、びっくりするぐらいの激下りだった。道もデコボコだった。これが登りでなくて本当によかった。
ホイーリングの街の手前には川が流れていて、僕らはそれを渡る必要があった。ハイウェイははるか上の方でその川をまたいでいたが、僕らが渡るのはそっちではなかった。少し走るといかにも古そうな、しかし立派な橋が見えた。僕らはその橋を渡りホイーリングの街へと入った。
橋はグレーチングで、端はスノコのような板だった
街に着いたらすぐにモーテルかと思っていたが、モーテルは街の外周をぐるっと回った反対側にあり、意外に長い距離を走ることになった。先ほど街に入った瞬間に、到着モードになっていたM女史は少しご機嫌斜めだった。というか、ヘロヘロでだんだん無口になってきた。こんな時に限って見つけたモーテルが閉まっていたりする。二人ともがっくりだった。
結局、たどり着いたのはおなじみリッチモーテル。そこはほぼ街の外れにさしかかろうという場所だった。
このモーテル、なんと部屋に電子レンジがなかった。しかし目の前にレストランがあった。今日は冷凍食品なんかやめて、食べにいけということらしい。
ラッキーなことに、そこはバイキングレストランだった。メインディッシュ以外は食べ放題。僕らはこれでもかと言わんばかりに食べまくった。今までのご飯には相当ひどいものもあったが、腹いっぱい食べられるのは本当にありがたかった。
明日はいよいよペンシルベニア。久々の峠越えもあり、厳しい一日になる予感がした。残りの距離はあと4日で約690km。明日予定通り200kmを走れたらだいぶ楽になるのだが、はたして…