今日はスチームボートスプリングスという街を通り、約2000mから2800mまで峠を登った後、しばらく走ってグランビーという街まで走る。距離は196km、今日で総距離は2000kmを超える。そしていよいよ10日目に突入する。
朝はいつも通り2時に起きた。今日のモーテルはなんとキッチン付きだった。なので僕らは昨日買っておいた食パンを焼いて食べることにした。ところがパンを焼いていると突然火災警報器が鳴り響きだしたのである。こんな夜中に火災のベルを鳴らしてしまい、僕らは少しパニックになった。少し落ち着いて警報機をリセットすると音は鳴り止んだ。
原因は換気扇を回していないからだと僕は思った。だから焼くのを交代して、僕は換気扇を回しながら自身を持って料理を続けた。ところが、やはり警報機は鳴り出す始末。結局リセットを続けながら料理を続けるしかなかった。店の主人は起きてくる様子はなかったので、取り合えずはセーフだろう。
そんなハプニングを起こしながら、僕らは3時にモーテルをスタートした。夜明けまで、眠気と戦いながらゆるゆると進んだ。
明け方、ある湖の傍を僕らは走っていた。湖の横には列車の線路があった。アメリカには思ってた以上に線路があちらこちらにある。しかし今まで列車を見たのはたった一度きりだった。アメリカでは列車はあまり走って無いのだろうか。その湖の横の線路も列車が通り過ぎてくれることはなかった。ただ朝もやであたりは白くなっていた。
夜が空けてしばらく走り、スチームボートスプリングスという街に着いた。なかなかきれいな街で、僕らはここで朝ごはんを食べることにした。朝ごはんはサブウェイ。ハンバーガーに比べ味もなかなかいいので、M女史もかなり気に入ったようだ。
サブウェイを出ようとすると、マイクから電話がかかってきた。昨日のメールしたペダルの件だった。僕らが今どこまで走っているかと、この先どの辺りを走るのかの確認の電話だった。そして、何件かの自転車屋さんをあたってくれると約束してくれた。
街を出ると、今日のメインイベントの峠が直ぐに始まった。峠があるのは事前に調べてわかっていたが、ここまでの斜度とは思っていなかった。そこは登り切るまでほぼ10%ぐらいの傾斜が続いた。荷物を付けた状態で登るのは相当キツかった。峠では地元の人がヒルクライムの練習をしているようで、何人かの人とすれ違った。どこに行っても坂があるところにはやはり自転車乗りがいるようだ。
やっとのことで坂を登りきったが、直ぐに下りというわけではなく、しばらくアップダウンが続いた。辺りの景色はとてもきれいだった。標高は2800mほどあり、高山植物が咲いていた。緑の草原は美しくて、空気は澄んで空は青々としていた。
峠からの下りは比較的長く、軽快に進んでいった。下りでも何人かの自転車乗りを見かけた。一人は同じように後ろにバックを付けて走っていた。彼はいったいどこに行くのだろう?
長い下りが終わりアップダウン区間になって、突然変速が変わらないトラブルに見舞われた。登りでギヤが下がらず止まりそうになった。原因は油切れだった。BB下のワイヤー受けの油が切れて滑りが悪くなっていたようだった。油を差したら元に戻ったので、ホッとした。
アメリカの道は線路ばかり。何度も踏切など越えたりしたが、ほんとに列車は走っているのだうか?ずっとそう思っていたが、どこからかともなくポオーッと汽笛のなる音がした。どこだどこだとキョロキョロしていると、前方から列車がやってきた。長い長い列車だった。やっと会えた列車に嬉しくなって並んで走って記念撮影した。
線路と並走する道はそのまま山間部へと入っていく。くねくね道の横の谷間を線路が走っている。それはなかなかかっこいい景色だった。
その山間部を抜けると、そこはもう今日のゴールの街だった。
今日のゴールの街、グランビーはここ数日の街に比べ規模が小さい感じだった。モーテルもどれぐらいあるかわからない状態だった。なので見つけたモーテルを片っ端からあたっていった。
一件目は閉まっているようで人の気配がなかった。この街は大丈夫か少し不安になりながら次モーテルを探した。次のモーテルは周りには何もなさそうだったが、開いてはいるようだった。受付のおばさんはなかなかおしゃべりな人だ。ランドリーがあるか聞いてみたら、残念ながらここには無く街の反対側5kmほど先だと言う。困っていると、嬉しいことに自分の洗濯機で洗ってくれると言ってくれた。ついでに、アイスブロックもあるか聞いてみたらあげると言ってくれた。そんなおばさんの優しさが嬉しくて、今日はこのモーテルに泊まることにした。
とりあえず急いで今日来ていたジャージを脱いでおばさんに渡した。それから、シャワーを浴びてモーテルの周りを偵察に行った。辺りにはスーパーどころか店はほとんど無かった。少し先にガスステーションがあったので、何とかそこでドリンクだけは手に入れることができた。
モーテルまでの戻り道、ふと横を見ると小さな自転車屋さんがあった。「Bicycle Repair」という看板を掲げた自転車屋さんだった。こんな何もなさそうな街に自転車屋さんがあることに興味を覚え、僕はちょっと立ち寄ってみることにした。
中に入るなり店の親父さんはいきなりこう言った。
「お前さんか?サンフランシスコから来たって奴は?話は聞いているよ」
僕はしばらく呆然とした。もしかして、僕らがアメリカを横断することが噂になってここらでは有名な話にでもなったのだろうか?そうではなかった。この店は偶然にもマイクが電話であたってくれた自転車屋さんのうちの1軒だったのだ。しかしマイクからは連絡を受ける前だったので、いったい何が起こったのかと少し慌ててしまった。そんなことを親父さんと話し、偶然にも隣のモーテルに転がり込んだことを言うと、親父さんも驚いた様子でそいつはラッキーだな、と言ってくれた。
「ペダルで困っているんだろう?こんなペダルでどうだ?」
そう言って白いSPDペダルを奥から出してきた。そのペダルはバッチリ探していた型のペダルだった。早速モーテルに自転車を取りに返り、M女史にそのことを告げた。
ペダルは親父さんにすぐに付け替えてもらい、クリートの留め金の強度も調整してもった。これでもうペダルに悩まされることはなくなった。
しばらく店の親父さんと話をしていると、親父さんの奥さんとその友達が自転車を車に乗せて帰ってきた。どこかに走りに行った帰りのようだった。親父さんは今の出来事を興奮気味に話すと、その二人も驚いた様子だった。せっかくなので一緒に写真を撮らせてもらうことにした。
本当に僕らは運に恵まれていた。今日のペダルの事もそうだが、今までもこの先も何度と無くラッキーだと思えることは多かった。僕らはそういった幸運に感謝した。
さて、自転車の修理もひと段落したところで今日のご飯であるが、モーテルのおばさんに聞いてもまわりにスーパーは無いと言う。しかし、ちょっと先にチャイニーズレストランがあるということなのでそこに行くことにした。
今まで走ってきて、晩ご飯が外食なのは今日が初めてだった。今までは回りにあまりレストランもないというのもあったが、スーパーの方が安上がりなのでそうしてきたというのもある。
しかし奇しくもチャイニーズレストランしかないことで、久々にまともな食事にありつくことができた。チャーハンにエビチリ、焼きそばなどを頼んだ。するとさすがアメリカ、すさまじい量の料理が出てきた。大概お腹はすいていたので、結構食べたのだが、チャーハンが残ってしまった。残ったチャーハンは持ち帰り、明日のお弁当にすることにした。
久々に満腹になるまで食べた。その満足感のまま僕らは眠りについた。