あのアメリカから帰ってきて、もう2ヶ月がたってしまった。このブログもほんとは走りながら書き続けるつもりだったけど、実際走り出すと走るだけでせいいっばいで、だから帰ってからゆっくり書こうって思ってた。もうだいぶ前のことのようで、ほんとに走ったんだろうかと思える。でももう一度書きながらひとつひとつ思い出していきたいと思う。
マイクはM女史が昔日本各地を走りまわっていた時の友達で、今はサンフランシスコに住んでいる。僕は最初はサポートなしでニューヨークまで走るつもりでいた。しかし、M女史は走るからには絶対に完走したいという思いが強く、最初の砂漠地帯は誰かしらサポートをお願いするつもりでいたようだ。そんなわけで、マイクに誰かサポートしてくれる人がいないか探してもらっていたのだが、結局マイク自身がなんとか仕事の都合をつけてサポートをしてくれることになったのだ。
砂漠地帯は本当に厳しい場所で、僕は自分が立てていた計画の甘さを後ほど知ることになる。このアメリカ横断はマイクのサポート無しには成し遂げることはできなかっただろう。
マイクとは、この写真のあるユタ州の州境まで行動を共にした。まずはそのユタ州までの話を話したいと思う。
今日はいよいよサンフランシスコをスタートし、ヨセミテの入り口まで走る予定である。走行予定距離は初日からいきなり246kmと長い。しかし、160kmあたりから 246kmの間に街が無いのである。そこで、まだ初日だし元気もあるだろうと思い距離を伸ばす作戦にしたのである。
まず、サンフランシスコ湾を橋で渡り、途中ちょっとした丘を何個か超える。200kmを超えたところで最後に800mぐらいまで登ってゴールとなる。
いよいよ、出発の朝。サンフランシスコのホテル前にて。まだ暗い5:47にスタートした。時差ぼけで朝は意外と早く目が覚めた。
ホテルを出て、サンフランシスコの街中を走る。日曜日の朝早くなので、車はほとんど走っていない。この道を30km先のサンフランシスコ湾を渡る橋のところまで走る。
橋の手前はちょっと道が入り組んでいて、路地裏っぼいところも通ったけどなんとか橋にたどり着いた。思ってたよりちょっとだけ殺風景な橋だった。でも、大きなサンフランシスコ湾をわたりながら、いよいよサンフランシスコを離れて、アメリカの地へと入っていくんだという気持ちになった。
橋を渡ると景色は少し街を外れた感じに変わった。山間の道を進み、いくつか丘を超える。自転車に乗るにはちょうどいい時間で、サンフランシスコの自転車乗りがいっぱい走っていた。
丘陵地帯を越えた所で白いセダンが停まっている。横には椅子と飲み物が用意されている。そう、マイクである。マイクとはちょうどこの丘を超えたところで合流することになっていたのだ。ここで少しの休憩と補給を行い、マイクと次の補給地点を相談したりした。
ちなみに、マイクは昔日本に住んでいたので日本語が少しはわかるようで、たまに日本語で冗談を言ったりしていたが、基本的には英語だった。僕はアメリカ人に言わせると”little bits”しかしゃべれないがマイクとは英語で話した。M女史はマイクとは日本語でやりとりをしている。昔日本で一緒に走っていたときもあんなふうに会話していたんだろうなと思った。
マイクと別れてから、しばらくは平坦だったが、道は再び丘陵地帯になっていった。近所の自転車乗りの練習場所らしく、何台かの自転車とすれ違ったり追い抜かれたりした。頂上付近はちょっとした急坂だった。なるほど、車も少ないし自転車乗りが練習に来るのもわかる。
よくアメリカとかの写真で風力発電の風車だらけの場所を見ることがある。アメリカを走っていたら、どこかそんな場所を通るだろうと思っていたのだが、いきなり初日にその風景は現れた。さきほどの急坂を越えた向こう側はそんな場所だったのだ。それは最初のアメリカらしい風景との出会いだったかもしれない。
初日から僕らは何度か道に迷ったりした。予め調べていた道がなかったのか、道はあるんだけど見つからなかったのか? とにかく、そうやって道に迷っていく。マイクとの次の合流地点にたどり着くのに予想外の時間がかかってしまった。なかなか来ないのでマイクはいきなり行方不明かと思ったかもしれない。
そうかと思えば、初日からいきなりパンクした。しかも二人同時に前輪がパンクである。パンクの原因はM女史はリム打ちで、僕は何か植物のトゲのようなものが刺さっていてスローパンクしていた。トゲは二箇所も刺さっていた。こんな都市部に近いところでこんなトゲが刺さるようでは、この先自然だらけのところはトゲだらけなんじゃないだろうかと思い不安になった。
パンクの後、マイクと合流して少し休憩して、再び僕らは走り始めた。道は再び上りに差し掛かった。
初日ということもあり、アメリカの道にも慣れておらず、最後の登りにさしかかったのはもう暗くなりだすころだった。時間はちょうど21時ごろだった。
くねくねとした登り坂が10kmぐらい続く。斜度もそこそこあり、バッグを付けた自転車で既に200km以上走っている足でこれを登るのはまさに苦行だった。お腹もすいてヘロヘロで、途中で止まったりで休み休み登る。それにしても、アメリカのまだまだ入り口のこんなぐらいの坂でこの有り様では先が思いやられる。車からは「クレイジー」と罵声も浴びせられる始末。こんな暗い中こんな峠を登るのはアメリカでもクレイジーらしい。
先にモーテルにチェックインしていたマイクが心配して戻ってきた。あとどれくらいか聞くとほとんど登りは終わりらしいが、その”ほとんど終わり”がなかなか終わらない。やっとのことでモーテルに着いたのは23時ごろだった。予定の距離も10kmほどオーバーし、256kmだった。
今日のモーテルはグローブランドという場所にあるその名もグローブランドモーテルだ。ヨセミテの入り口の小さな村で、他にもいくつかのモーテルがあった。
グローブランドは素敵なところだと先にマイクから聞いていたが、確かにいい感じの場所だった。モーテルも山小屋風で落ち着いた感じだった。
マイクは先に着いてパスタを作って待っていてくれていた。シャワーを浴びパスタを食べたら、明日に向けて就寝した。本当に疲れた。こうしてなんとか一日目が終わりを迎えた。
余談であるが、最後の登り10kmには地図でみると近道があった。当日その近道は閉鎖されていて通ることはできなかった。マイクの話によると、その近道は20%を超えるような激坂らしい。確かに考えてみると10kmかけて800mほど登るところを、その近道はたった3kmで登ってしまうのだ。危うく知らずに行きそうになった。近道が閉鎖されててよかった。